遊ぶ【連載】おもちゃ美術館がやってきた! 移動型おもちゃ美術館「キャラバン」物語

〔番外編〕人生が変わるらしい ~僕がキャラバン座長になるまで

2019.03.22

これまでの連載で、移動おもちゃ美術館のバックステージを語ってくれた曽我部さんが、キャラバン座長になるまでの物語。番外編です。

〔番外編〕人生が変わるらしい ~僕がキャラバン座長になるまで

「おもちゃコンサルタントになると人生が変わるらしいよ」・・・
そう、あれは今から20年くらい前のある日、知人が僕に言ったのです。それってなに?どういう風に変わるの?と訊き返しましたが、その知人がなんと答えたのか、今ではよく思い出せません。ただ「人生が変わるらしい」という言葉だけはしっかりと残りました。

17年前、息子が生まれました。これからこの子と何年もいっぱい遊ぶんだろうな、と思いました。
そうだ、父親として遊びのネタが尽きたらヤバイぞ、息子を退屈させる様な親父になってはオシマイだ、面目丸つぶれじゃないか。なにかいい手はないか?そのとき脳裏にあの言葉が浮かんできたのです・・・そう、おもちゃコンサルタントっていうのがあったぞ、これだ!
翌日、 講座受講手続きを済ませました。息子が1歳の時のことでした。

その頃、自分の音楽活動として、滋賀県奥伊吹で、地域活性化がテーマの音楽祭の音楽ディレクターを務めました。
そこで「限界集落」や「地域活性」という言葉と出会い、日本の林業、それを支えてきた地域が衰退していることを知りました。いつかこうした課題に取り組み、再生に寄与できるような仕事が作れたら、という思いがそのとき芽生えました。実際に沖縄のやんばるや長野県各地に視察を重ね、すこしばかり知見を広げましたが、この時点では実際どうやってこの問題に取り組むべきなのかは見えていませんでした。

2008年6月、東京おもちゃ美術館がオープン。翌年の3月、「なにか良い仕事を作れないですか」という僕の発言に、多田館長が「移動おもちゃ美術館の企画をやってみる?」と応えてくださって、大いに発奮。ミュージアム・プロデューサーの砂田光紀さんがデザイナーとして加わりました。
そこで、「移動おもちゃ美術館を木のおもちゃ専門とすること、子育て支援、木育推進、地域貢献をテーマに活動する」などの基本案を僕は提案しました。
その後約半年の時間をかけて企画を練り上げ、三人で「グッド・トイ キャラバン」にネーミングを決定しました。同年10月に青森県八戸で第一回開催。翌年からは林野庁の木育指定事業となり「木育キャラバン 」というもう1つのネーミングを得て、そこからは加速がついたように日本全国各地の自治体、企業からの開催要請が届くようになりました。

それからはほぼ毎月のように開催地へキャラバンセットとともに赴いては、主催者のみなさんと力を合わせてキャラバンを作り上げてきました。子育て支援、木育推進、地域貢献・・・そのいずれのテーマにおいても、開催地域の人々こそが主人公。溢れるほどたくさんの木のおもちゃがそこにあることが、人々を惹きつけ、子どもたちを夢中にし、グッド・トイを広め、木の魅力を伝えるきっかけになるのを確認しました。
試行錯誤も多々ありました。そして出会いを生かし、その気づきを現実の生活やこれからの経済に活かしていくのは、開催地域の人々にほかならないことを、改めて実感しました。だからこそ、限られた開催期間のなかで僕らは最良のものを提供しなけらばならない、と思うのです。スタートして10年を超え、今や開催数は年間約50カ所、3つのキャラバンセットを運用し、数人のディレクターが交代で業務を担当しています。

と、気づいてみれば自分の人生、すでに変わっていました。いつのまにか47都道府県、すべて訪れていました。あの言葉は本当だったのです。

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曽我部 晃
執筆者移動型おもちゃ美術館 総合ディレクター、おもちゃコンサルタント
曽我部 晃
長男誕生を機に、父と子のコミュニケーションを大切に思い、おもちゃコンサルタントの資格を取得。2009年より移動型おもちゃ美術館「グッド・トイキャラバン」「木育キャラバン」の座長・総合ディレクターを務める。

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