遊ぶ【連載】グッド・トイの秘密を見に行こう!

日本でいちばん古い木製玩具メーカー ニチガンの「エルムの木馬」(後編)

2019.05.17

引き続き、株式会社ニチガンさんにて会社の歩みやおもちゃをつくっている方たちの思いを伺いました。連載第2回。

日本でいちばん古い木製玩具メーカー ニチガンの「エルムの木馬」(後編)

前編に引き続き、株式会社ニチガンの吉川和也さんと長山啓子さんのインタビューです。今回は会社の歴史や、おもちゃを作っている方たちの思いをお伝えします。

ニチガンさんはどのようなメーカーですか?

吉川さん:

日本で一番古い木製玩具のメーカーです。今年で創業から90年になります。海外へ輸出したり、皇室への献上品を制作していた時もありました。

このお部屋にも、古い木製のおもちゃがたくさん飾られていますね。たとえば昭和12年のBuick。とても精巧で丁寧な作りです。相当な時間をかけて作られたことと思います。

吉川さん:

手ごろな値段の、積み木や乗り物のおもちゃなども当時から作っていたようです。
我々の商品は、基本的にシンプル。特に積み木とか、素材・道具みたいなものですよね。積み木遊びはもちろん、他のミニカーとか、おもちゃとか合わせて遊んで、子どものイマジネーション次第で、世界が広がっていく。そんなおもちゃをつくり続けたいですね。

吉川さん、長山さんが現在のお仕事に就かれたきっかけは?

吉川さん:

もともと、子どもの頃からモノ作りが好きでした。大学を卒業して就活している時に、モノが作れる会社を探していたら、ニチガンに出会いました。もちろん、最初から開発が出来るわけではなく、営業から始まりました。

モノ作りが好きとは?どんなモノを作っていたのですか?

吉川さん:

ちょっと、マニアックなんですけど、“ガレージキット”です。有名なところで言うと初期の海洋堂とか、タミヤの模型とか。
そういえば、祖父が工務店をしていたので、道具が揃っていたんです。のみやカンナを借りて、遊び道具をよく作っていました。
小学生の時、母から犬を散歩に連れて行くように言われたけれど、どうにもこうにも犬が小屋から出てこない。そこで思いついたのが、祖父からもらった滑車。それを犬小屋の底に4か所付けて、小屋ごと散歩に行ったんです(笑)。
大阪の南に住んでいて、お祭りが盛んだったので、祭りで使うだんじりなんかを友達5人位で、半年がかりで作ったりもしていました。

モノ作りを楽しんでいたことは、現在につながっているかもしれませんね。長山さんはいかがですか?

長山さん:

私は、兄弟が3人いるので、子どもの頃は、外遊びが主でした。家の中では、もっぱらごっこ遊び。おかげで当時流行っていたコンピューターゲームとも無縁で退屈することはありませんでした。

 

高校を卒業して、グラフィックデザインの専門学校に進んだのですが、プロダクトデザインに憧れがありました。もともと、子どもに向けてデザインされたモノが好きでした。「子ども」「デザイン」というキーワードでニチガンを見つけました。今は玩具と雑貨、カタログ、HPのデザインなど全般にしています。

今後の仕事に対する思いやメッセージなどありますか?

吉川さん:

うちの商品は、派手な音が鳴るものはありません。シンプルなものしかありません。ずっと変わらぬポリシーです。お子さんの育ちは昔と今と変わらないと思っています。ハイテクなおもちゃも必要かもしれませんが、一方で、当社のようなベーシックなおもちゃは無くならないおもちゃだと信じています。
この仕事の面白さは、ゼロから形になるまで関われることです。それで実際、お子さんが遊んでくれる。こんな嬉しいことはありません。

* * * * * *

ニチガンさんは日本で一番歴史のある木製玩具のメーカーです。時代が変わっても、守り続けたいおもちゃがありました。社員の方々の思いがありました。その裏には、創業90年の長く、しっかりとした歩みがありました。
ご協力いただいた、吉川さん、長山さん、塚田社長、社員の方々、お忙しい中ありがとうございました。

最後に、社長の塚田容子さんと記念撮影させていただきました!

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橋本 光子
執筆者おもちゃコンサルタント、グッド・トイ選考運営委員会 副委員長
橋本 光子
公民館で社会教育指導員として、赤ちゃんから高齢者までの社会教育を日々、企画、運営、進行しています。また、グッド・トイの選考に携わり、1人でも多くのおもちゃコンサルタントが選考に参加できるような仕組みを考えています。

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