遊ぶ【連載】わくわく遊んで大きくなるために おもちゃ屋さんの「あそび相談室」
相談11:「子どもの遊びのために、大人ができることって?」
2020.07.24
遊びながら育つ子どものために、大人ができるのは、自分でできるように手伝うこと。おもちゃ屋さんのあそび相談室、最終回です。
子どもは、赤ちゃんの頃からずーーっと、遊びながら育ちます。
「遊び」は、何でもいいのです。
やってみたくて、楽しくて、もっとやりたくて、できるのが楽しかったり、何度もくり返して試行錯誤したり、やりきったことに満足したり、気づいたり分かったことにわくわくしながら、手とあたまとこころを動かすこと。
そうして、偶然できたことがしっかりした手つきになっていったり、それによってまた新しい気づきやチャレンジが生まれたり、できたりできなかったりを行ったり来たりしながら、少しずつ少しずつ大きくなります。
「遊び」は子どもが自分で自分を育てていくための、大事な仕事なのでしょうね。
だから実際に、子どもが「自分で」気づいたり分かったり最後までやりとげたことは、子どもにとって大きな満足になり自信になります。
そして同時にそれらは「体験の知」としてしっかり子どもの血肉になって、人生のなかで出会う「新しいもの・新しいこと」に応用していける糧となります。
わたしたち大人は、その大事な育ちをめいっぱい手伝いたいし、力になりたいと願っています。
でもそれには、「やりかた」がある。
大人ができること:「よく見る」
今、まさに「今」子どもが何を面白がってやっているのか、「よく見る」ことがまずは大事です。
子どもの遊ぶ姿をよーく見ていると、
「今できること・やりたがっていること」が分かるから、それにぴったりのおもちゃを用意できます。
取り組んでいることがやりやすいかたち(テーブルに置くとか滑り止めをつけるとか)を想像できます。
遊びが発展しそうな様子があれば、それに必要なこと(入れ物などの道具や場所)を準備することができます。
「よく見る」ことがすべてと言ってもいいくらい。
そばにいる大人が、子どもが自主的に遊びに取り組むための「環境を整える」ことができるんです。
大人ができること:「環境を整える」
具体的には例えば、たくさんパーツのある線路のおもちゃ。
量が多くて箱も大きくて重たいから、箱の奥底にあるパーツは忘れ去られていたり、大人に運んでもらったり。
それなら、「使いたいパーツが見えてすぐに取り出せるように」「子どもが自分で持ち運べるように」持ち手のあるちょうどいいサイズの箱に小分けすればいい。
うっかりするとどこまでも転がっていってしまう玉のおもちゃ。
遊ぶのは楽しいけれど、それを拾って戻す面倒のために遊びが終わってしまったり、パーツが無くなったりする。
でも、わずかなヘリのあるトレイにおもちゃを乗せてあげるだけで、遊びはとぎれない。
大人は「運んであげたり」「拾ってあげたり」お世話をするのではなく、子どもが自分で自分のやりたいことを最初から最後までしっかりやりきるための「環境を整える」のです。
大人ぶって遊びを主導したり、手出しをしたり、親切っぽい助言や注意はおそらくただの邪魔です。
もうすでにいろんな経験をしてきて、いろんなことを知っていて、いろんなことができる大人だからこそ「導いてあげる」のではない。
子どもが「自分でやって、自分で気づき、自分でわかった!」ってうれしくなるようなあそびの環境を、よく見て謙虚に整えるのです。
そんな配慮に満ちた遊びの場を用意してもらえたら、子どもたちはどんなに生き生きと遊び、自分のやりたいことに存分にうちこみ、自分のペースで大きくなっていけるでしょう。
子どもが「ほんとうに」わかるために
だって、どんなことでも、自分で体験しないと分からないのですものね。
手触りも、重さも、匂いも、音も、どんなふうに使うことができるのかも。
どんなふうにしたら、面白かったのかも。
どんなふうにやったらうまくいくのかも。
どんなふうにしたら、すごい発見をしたのかも。
自分でやってみて、考えて、やってみて、考えて、やってみて…、
わかった!できた!やりきった!満足!が無いと、誰も「ほんとうには」わからない。
大人は、子どもがそれを存分にできるようなお手伝いをしましょう。
子どもの遊ぶ姿を「よく見て」、「環境を整える」こと。
支えて、信頼して、待つ
そしたらあとは、子どもの育つ姿を見守るだけです。
必要があれば支えて、
そして子どもを信頼して、待つことです。
「支える」とは例えば、
ひも結びなど難しいことにチャレンジしようとしているときには、
どんなふうにしたらできるかを、大人がゆっくり、ていねいにやって見せてくれること。
「やりかたを見せる」ことは、とても大事です。
そして実際に子どもがやってみるときには、
失敗しても、できるようにがんばっているのだからと、
がんばる姿をちゃんと見て、必要最小限の手伝いや言葉を添えて、
子どもが自分で納得し「よし」と思うまで待っていてくれたら、
子どもたちはどんなに安心で、うれしいでしょう。
自分を信じて待っていてもらえることが、どんなに自信になるでしょう。
ただただ、「大人らしく」、
深い配慮をもって、その場に控えていること。
必要なことだけを教え、
必要なことだけを手伝い、
あとは
子どものやろうとする意志と情熱と、できる力を信じること。
なんでもやってあげれば子どもはうれしいのではありません。
手出しをするより、口出しするより、
遊びの場面でも生活の場面でも、
子どもが「ひとりでするのを」手伝えるように、
その姿をよく見て、環境を整えて、
できることを信じて、待つ。
「子どもの見せる意欲に尽くす」のが大人の役目
子育てのゴールは、どこにあるのでしょうか?
自分で考え、行動し、他者とかかわり協力し、社会のなかで自立すること、のはず。
青年期の「自立」に向かってそばで支え続けるのが、大人のほんらいの役割です。
子どもが小さな頃から社会に出るそのときまで、そばにいる大人が、子どもの暮らしを通じて「自立」を応援する存在であり続けることです。
おとなはただ、遊びのなかで、暮らしのなかで、
子どもの見せる意欲に「子どもがひとりでできるように、手伝うこと」。
それに尽くすだけで良いと思っています。
「遊び」どころか大層なことを書いて、かばんねこの連載はおしまいになります。
長々と今まで、ありがとうございました^^
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遊ぶ育む暮らす2020.07.24